現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

若者の自粛と、大学について考える

2020年も間もなく終わりを迎えようとしている。

今年はどんな一年だったか?簡単に振り返る 

今年は1月上旬ごろからCOVID-19が生活につきまとう事態となっている。1月に中国湖北省でCOVID-19が確認され、それから1か月もせずに日本に上陸した。2月のダイヤモンドプリンセス(DP)での感染拡大や東京の「ロックダウン」の噂などもあり、徐々に日本国内に混乱の空気が流れ、マスクやトイレットペーパー、食料品の買い占めも起こった。4月には緊急事態宣言が発令され、「ステイホーム」、「自粛」という風潮が強まった。この風潮が功を奏したのか、5月中旬以降感染者数の増加具合は急速に落ち着くこととなり、国民も安堵を取り戻した。

7月頃になると、首都圏を中心とするいわゆる「夜の街」での感染拡大が目立つようになり、再び国民の緊張が高まった。当時は夏であり、ウイルスが増殖、伝播するのに適していない環境であったのが上手く働いたのか、この時は感染者数自体は第1波(4月、5月)を上回ったものの、医療体制が逼迫することもなければ緊急事態宣言が発令されることもなく、夏が終わるにつれ感染拡大も徐々に落ち着いていった。

11月となり、気候が徐々に冬へと近づいてくると、いち早く冬を経験する北海道での感染拡大が進んだ。一時期は東京都のそれに匹敵するほどの感染者が確認され、医療機関にも大きな負担がかかり、自衛隊が出動する事態にもなった。北海道での感染拡大はしばらくすると落ち着いたが、今度は首都圏で感染爆発が起こり始めている。東京都の新規感染者数はとうとう900人を超え、1000人の大台が見えつつある。東京だけでなく、周囲の神奈川県や埼玉県などでも感染拡大は続いている。そして最近、イギリスや南アフリカ共和国から新たな変異株が日本に上陸した。特に南アフリカのそれは若者にも大きな悪影響を及ぼしかねないとの噂もある。

若者による「自粛」と大学について

「夜の街」での感染拡大が目立つようになった時期(夏頃)から、若者が時節を顧みて自粛することをせず、感染拡大を促しているとの世論が強まった。「夜の街」を起点とする第2波は国内の新規感染者数がほとんどゼロに近い状態であったのを一瞬で打ち砕いてしまった事象であり、国内でCOVID-19の収束を達成できなかったという意味では大きな不利益をもたらしたと言える。「夜の街」に点在する飲食店は必ずしも若者だけが利用するものではないが、若者という存在自体が大きな影響力を発揮しているのは確かだろう。だからといって、有象無象といる「夜の街」に屯する正常性バイアスの強い若者と、COVID-19対策を続ける若者を同一視する世論には、少し疑問が残る。

さて、最近では特に一般大衆が「自粛」をしないことが頻繫に報道等で取り上げられている。首都圏の繁華街の人出が減らない、駅や空港が混雑しているといった具合である。これに関しても、やはり若者がやり玉に挙げられている。若者というのはおそらく、学生を指すことが多いのだと思われる。何故ならば、学生は暇だからである。今年はオンライン授業が多く、キャンパスへ行く機会が少なくなった者も多いため、例年にも増して暇なのだろう。暇ならば学生らしく、何か勉強でもしていれば良いのにと筆者は思うが、そうは上手くいかないのが人間、というか動物である。人間を含む動物はそこまで合理的に動くようにプログラムされていない。大勢の人間が不合理なことを平気でやってきたというのは、歴史を勉強すればすぐに分かる。だからこそ、私は若者があまり自粛を積極的にしていないことはそれほど不思議だとは思っていない。(正直頭が悪いな、とは思うが)もはや、道端に餌を置いておくと野良猫やカラスがそれを食べにくるのと同じ次元の、ある意味自然の摂理だと思っている。

私が疑問なのは大学の対応である。大学は日頃から、小中高校との区別を意識しており、学生を縛り付けようとすることはしない、なぜなら?大学は「教師が教え込む」場ではなく「学生が自発的に学ぶ」場所だからだそうだ。それ故に、大学は「自粛してください・・・」と小声では言うが、それ以上のことはしない、というか出来ないだろう。一教育機関が個人の行動を制限することなど出来ない。結局のところ、個々人の行動に委ねているわけである。大学のこうした、「放任主義」的方針は私は基本的には賛成しているが、学生の側がこれに適合しているかどうかというと、また別の話になる。

日本国内では大学進学率が非常に高い、全国平均でも50%もの人が大学に行く時代である。教育が盛んで高所得層も多い首都圏では更に大学へ行くことが当たり前になっているのだろう。その流れによって、大学はもはや「高校の延長」のようになってしまっている。ある教員が平気で大学1年生に向かって、「みなさんは大体18歳か19歳くらいですよね」と言ってしまうように、大学といえば高校を卒業した人間がそのまま進学する場所という認識が普通になっている。教育の格差が是正されるのは良いことだが、本来であれば大学に行くことなどなかった人間が、より多く大学へ進学してしまっているように思える。それで彼らが大学ですることというと、「遊び」だけである。そんな学生はただ遊ぶだけでは済まず、社会や特定個人に対して悪影響を及ぼすような行動を取るかもしれない。それでも大学は当該学生に対して何らかのペナルティを課すことはせず、「放任主義」を貫いている。つまるところ、学生の質が低下して、本来の大学という機関が成立しづらくなっているのではないかと思う。だからといって、大学が中学や高校のように校則をガチガチに整備して学生を管理すれば、それはそれで馬鹿らしい。では、どうすればいいのだろうか?

COVID-19が流行る前から私は、「大学といっても、大したことないな」と思うようになっていた。その原因の1つは、おそらく学生の質の低下だろう。過去問だけで試験を乗り切る学生、カンニングを計画する学生、図書館で平気で談笑する学生、教員の声よりも学生の私語の方がよく聴こえる教室、キャンパスの周辺で我が物顔で闊歩する学生、色々見てきた。だからこそ、今年のCOVID-19をとりまくあれこれを見聞きして、「やっぱりか」と思ったのである。それを知れただけでも、大学へ行った価値はあったのだろう。