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学生の「民度」は大学偏差値に比例するか?

今はCOVID-19の影響でキャンパスに訪れることは少ないが、通常期であれば平日は毎日のようにキャンパスに訪れ、授業を受けることになる。

 キャンパス内を歩いたり授業を受けていると、学生の「民度」を意識せざるを得ないような出来事に遭遇することがある。

民度」というのは、ある地域や組織などに属している人のモラルやマナーの良し悪しを評価するために用いられる単語である。「民度が高い」はポジティブな意味を持ち、「民度が低い」はネガティブな意味を持つ。最近では、現実世界に存在する組織のみならず、ネット上における特定のサイトやグループに対しても使われることがある。

大学には、まともに振る舞うことができる人もいればそうでない人もいる。学生が犯罪行為を働くというのはもはや論外だが、そこまではいかなくても、モラルやマナーに乏しい学生をたびたび見かけてきた。

今回はモラルやマナーに乏しい学生の例を紹介しつつ、学生の民度というのはその大学の偏差値に比例するのかどうかについて考察する。

学生の民度を考えさせる事例

授業中の私語

学生の民度を考える上で真っ先に出てくるのが、授業中における私語である。授業中に私語をするなんて、小学生レベルではないかと思われるかもしれないが、大学では私語をする学生が一定数存在している。彼らの学力や理性を司る能力が小学生レベルなのかどうかは分からない。

私語をする学生が多い傾向にある授業には、いくつか特徴がある。1つ目は、その授業が「楽単」として有名であるという点だ。「楽単」というのは、文字通り楽に単位を取ることができる科目のことを指す。規模が大きい大学であればあるほど、「楽単」に関する情報は簡単に入手できるので、単位の取得が容易であるという理由だけで、多くの学生が授業に殺到することになる。そんな授業の雰囲気がどうなるかは、推して知るべしである。

2つ目の特徴は、受講者数が多いという点だ。比較的受講者が少ない授業でも平気で私語ができるような神経が図太い学生というのもいないわけではないが、大抵の学生は周囲に紛れなければ私語をすることもできない。大講義室で行われる授業のような、多くの学生が受講する授業であれば、私語をしても目立つことはなく、教員にやり玉に挙げられることもないため、私語をすることで生じるデメリットは限りなくゼロに等しい状態になる。そうなれば学生が何をするかについても、推して知るべしだろう。

私が見てきた中で一番私語が酷かった授業では、教員の声量よりも学生の声量の方が大きいくらい、教室が煩かった授業があった。その授業は私の大学では誰もが知っているような、「楽単」科目である。

図書館の利用マナー

大学内にある図書館は、通常期であれば静かで勉強がしやすい環境であることが多いが、試験前となると雰囲気が一変する。

試験前の図書館となると、私語があちこちで聞こえる状況になる。私が高校時代勉強に使っていた公共の図書館もそこそこ賑やかだったが、あれはまだやっていいことと悪いことが分からないような幼い子どもや、図書館を憩いの場として利用しているお年寄りが原因であることが多かった。大学の図書館ではそのような外部の人間が入る余地はない、おそらく全ての利用者が、図書館にある本の貸し借りをしたり、勉強をするために利用しているはずだ。では何故、私語が増えるのだろう。

結局のところ、勉強も一人でできない学生が多いのだろう。一人ででしか勉強ができない人間は「協調性がない」、「勉強以外何もできない無能」などと散々な評価を受けるが、一人で勉強ができない学生は「協調性がある」「アクティブラーニングができている」などと良い評価を受けている。これほどの理不尽があるだろうか?

キャンパス周辺における学生の振る舞い

 大学の最寄り駅や周囲にある商業施設などでも、学生の民度の低さを伺わせる出来事がいくつかあった。挙げればきりがないが、とにかくキャンパス最寄り駅の学生があまりにも厚顔無恥であるため、私は大学へ行く際は最寄り駅の一つ手前の駅から電車を乗り降りしていた。

学生の民度と偏差値との関係

最後に、学生の民度と大学の偏差値との関係について考えてみる。結論としては、「ある程度関係はあるが、絶対ではない」と考えている。なぜならば、大学にはいい意味でも悪い意味でも「外れ値」に分類される学生がいるからである。

このうち悪い意味での「外れ値」に分類される学生が、モラルやマナーに乏しい行為を行うのだろう。大学は同じ属性を持つ学生同士が結束するには絶好の環境であるから、「外れ値」に入る学生は何らかの形で仲間を見つけて、学内で好き勝手に行動しているのだと思う。

よく、「一般入試よりAOや推薦で入学した学生の方が質が低い」と言われることはあるが、私はこれには100%同意しない。学力に差はあるかもしれないが、民度に差があるとは言えないだろう。