現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

大学ぼっちが大学生活を振り返る:①新入生集会の洗礼

もう大学生活も佳境に入ってきたので、大学生活を振り返ってみたいと思う。

 これまで記事内で何度か言及している通り、私は首都圏のとある私大に通っている。

その大学は偏差値も知名度も他大学より高いため、おそらくほとんどの人はその存在を知っているだろうし、「○○大っていったら~だよねー」というような固定化したイメージを持っていると思う。

私もその大学に合格し、入学したころは同じようなことを思っていた、だが入学以降、そのイメージは良い意味でも悪い意味でも打ち砕かれることになる。

良い意味で打ち砕かれるのはしばらく後のことで、入学したばかりの頃は「自分」の「大学」を肯定する気持ち、いわば「自大学尊心」が雲散霧消してしまうような出来事が続いた。

公立中学時代を思い出す風景、だがこれは「大学の新入生集会」

大学へ入ってすぐに、新入生だけが集められて教員などから大学での活動や勉強などについての説明を聞くというイベントがある。これは全員が出席する必要があると強調されているわけではないが、友達を作るきっかけとしても活用することができるため、ほとんどの新入生が出席する。

私は大学入学当初から友達を作る気はほとんどなかったし、入学した大学に対してそれほど良い印象を抱いていなかったので、集会に対するやる気もほとんどなかった。だが集会をサボることもできず、普通に出席することになった。

集会は学校の体育館のような広い建物で行われた。会場にはパイプ椅子が並び、新入生は空いている席に座る。私は集会が始まるぎりぎりの時間に会場へ入ったため、席はほとんど空いていなかった。後ろの数席が空いていたため、そこに座った。

集会が始まり、学部のお偉いさんのような教員が壇上に上がり、話をする。「何やら難しそうな話だな、大学生活も憂鬱になりそうだ」などと考えていた。ふと周りの学生を見てみると、驚いたことにみんな話を聞いていない。

怠そうに席に座っている者からスマホで漫画を読んでいる者までさまざまだ、前に座っている学生のことは分からなかったが、少なくとも自分が座っていた後ろの席では、ほとんどの学生が教員の声を無視し、自分の世界に入っている。

これにはとても驚いた、というかショックだった。ヤンキーが先生の話を聞かずに授業を受けたり、集会に参加しているという公立中学に通っていた中学生時代の記憶と重なったからだ。

「やっぱり○○大って・・・レベル低いんだな」と思った。やっぱりダメだな、仮面浪人でもするかと思いつつ(結局仮面浪人はしなかった)、集会が終わり、そそくさと家路に着いた。

その後も似たような集会に出ることはあったが、幸いなことに先ほどのような話を一切聞かない学生に遭遇することは少なかった。後ろではなく前の席に座っていたからかもしれないが。

彼らは一体何者だったのか?

改めて、あの時集会で教員に対して一瞥もしていなかった連中のことを考えてみる。彼らは一体何者だったのだろう?確かに大学に入ってしばらくしても、授業で好き勝手に私語をしたり、キャンパス内や最寄り駅などで醜態を晒す学生を目にすることはあったが、どうも彼らとは少し雰囲気が違っていたように思う。

あの時集会で見た学生からは、大学で好き勝手に騒ぎ倒す学生が体中から滲みだしているような「やる気」や「覇気」のようなものが一切感じられなかった。

「教員の話つまんねー、さっさと遊び行こうぜ」というようなうずうずとした感情を持っていると言うよりは、「感情」そのものがなく、惰性で集会に来ているという気さえした。

彼らが大学へ来た目的が何で、今何をしているのか、これは大学生活における数少ない謎の1つだと言えるだろう。