現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

「コミュニケーション能力」と幸福との関係を考える

高度経済成長期以降、日本という国は新たな局面に突入した。精密機械の発展や単純労働に必要な労働力を発展途上国に求めるようになった影響から、頭脳労働や他者と協調しながら取り組む仕事が増え、「コミュ力(コミュニケーション能力)」の重要性が盛んに叫ばれるようになった。

 現代日本においてコミュニケーション能力というものは、幸福な人生を送るために必要不可欠な能力の1つであるといえる。本記事では、コミュ力と幸福との関係について考えたい。

筆者は「幸福」という概念を「健康」、「経済力」、「人間関係」という3つの指標から捉えている。

「幸福」になるための3つの指標

「健康」は単純で、心身の健康を意味する。いくら莫大な資産があっても、健康でなければ楽しく豊かな生活を送ることはできない。健康を維持することは幸福な人生を送る上で最も重要視すべき要素だと言える。

「経済力」は、自分(もしくは配偶者など、生計を一にする間柄の人)の力だけでどれくらいのお金を稼ぐことができるのか、また既にどれだけの資産を得ているのかを示す指標だ。

これは自分自身の能力と、自分と深く関わりがある人たち(親や配偶者など)の能力に関わっている。極論にはなるが、お金を稼ぐ力が乏しい人であっても、彼/彼女の親が大金持ちで、自身も相続等でその恩恵を受けることができるのであれば、「経済力」は強いと言える。

ただほとんどの家庭は中流程度だろうから、基本的には「経済力」指標はその一個人がどれだけ稼げるのか、端的に言ってしまえば「年収」がどれだけ高いのかによって決定される。

「人間関係」はその人にどれだけの数の友達がいるか、また彼氏/彼女(もしくは夫/妻)がいるかに関わる指標である。つまり、結婚をしていて(子どもの有無は問わず)、友達が多くいる人は、「人間関係」指標が高いと言える。

現代はインターネットの発展などによって、単なる「友達」であれば容易に作ることができてしまうが、ほとんど会話もせず、関係が希薄な間柄を「友達」と呼ぶのは少々難しい。やはりお互いをよく理解していて、自分の言いたいことを好き勝手に言い合える間柄こそ、「友達」だと考えるべきだろう。

ここまで3つの指標を紹介してきたが、筆者の考えでは、「一般的な」幸せな人生を送るためには、これらの指標全てで優秀な成績を収めなければならないと思う。

ただこの考え方が必ずしも全ての人々に当てはまるとは限らない。ライフスタイルの多様化で幸せの形も多様化している。例えば、「お金がなくても幸せ」という考えは一見負け惜しみに聞こえなくもないが、物々交換や自給自足が浸透しているなど、資本主義的要素が少ない社会であれば、下手な小金持ちよりも幸せな一生を送ることができるのではないかと思う。

「幸福」とコミュニケーション能力との関係

これまで述べてきた幸福に関わる3つの指標と、コミュニケーション能力との関係を考えてみる。

まず、「健康」とコミュニケーション能力との関係はどうだろうか。コミュ力が高く、友達が多い人の方が、活発的で積極的に色々な所へ出かけたり、人との交流を行ったりするだろうから、コミュ力が乏しく引きこもりがちの人に比べると不健康にはなりにくそうである。

しかし、いくらコミュ力に乏しいと言っても、運動習慣や食生活の改善等で人並みの健康を維持することは可能である。問題は、人との"Face to Face"のやり取りが少なくなることで、脳機能が衰えるなどの弊害が生じることである。人との交流が少ないことが原因で、コミュニケーション能力の更なる低下や、「認知の歪み」による精神への悪影響、年齢が高い人の場合は認知症などを引き起こす可能性も考えられる。

次に、「経済力」とコミュニケーション能力との関係を考える。これは明らかに、コミュ力がある人の方が、「経済力」も強いと言える。

本記事の前文で書いたように、現代日本では、「コミュ力」の重要性が盛んに叫ばれている。具体的にどのような場面で叫ばれているのかというと、就職活動、業務における上司や同僚との協調、チームワークなど、仕事(=所得=経済力)に関わる場面においてである。

日本では2000年代以降、「正規労働者(正社員や常勤の公務員など)」と「非正規労働者(アルバイト、派遣社員など)」の分断が進み、単純労働や一人だけで完結する仕事に従事している「正規労働者」は少ない。そのような仕事は存在こそしているが、そのほとんどは「非正規雇用」へと回されてしまっているのだ。

つまり、「正規労働者」として働き、自身や自分の家族を養っていけるだけの経済力を確保するには、チームワークや他者との協働など、「コミュ力」が不可欠な仕事に従事しなければならない。もちろん例外はあるだろうが。

最後に、「人間関係」とコミュニケーション能力との関係について考える。これも当然の如く、コミュ力が優れている人の方が友達が多く、結婚もしやすくなるだろう。これは考察をするまでもない。

コミュニケーション能力に乏しい人が目指すべき、「幸福の形」とは?

ここまで、コミュニケーション能力が幸福にとって如何に重要であるかを述べてきた。

本記事を読んで絶望に打ちひしがれている人も少なくないのではないかと思う。安心してほしい、この記事を書いている筆者自身も絶望を感じている。記事を終盤まで書いて分かった(というか生きているうちに薄々と分かってくるものだが)ことは、コミュニケーション能力に乏しい人は、もはや「一般的な幸福」を享受することは難しいということである。

しかし、まだ現世を諦めるには早い。先ほども少し述べたように、現代には多種多様な幸福の形がある。「巨人・大鵬・卵焼き」の時代のように、凝り固まった1つの価値観だけが胡坐をかいている世の中ではないのだ。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で「巣ごもり」が日常となり、リモートワークがより浸透するなど、世間の価値観は刻々と変化している。バブル時代以降続いている「コミュ力至上主義」の世も、いつか終わりを迎えるかもしれない。

たとえ終わらなかったとしても、自分で納得できる「幸福」を定義し、人生においてそれを追い求めれば良い。「一般的な幸福」を得られなかったからといって、無条件で「不幸」になるわけではないのだから。