現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人…にもなれない

「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人」ということわざがある。

たとえ子どもの頃に優れていると思われていた人でも、大人になると平凡になってしまうという意味だ。

私も小学生時代は、「神童」とまでは行かないが勉強は優秀だったし、高校受験(15歳頃)の時には地元で一番頭の良い高校に合格した。

コミュ力がないのは子どもの頃から変わっていないけど、当時は「人見知り」で通っていたから、大した問題じゃなかった。

だから昔は私の将来を期待してくれる人も結構いて、「進学校→一流大学→大手企業」という勝ち組ルートを歩いていくんじゃないかと思われていたはずだ。

つまり、大げさに言えば「十で神童、十五で才子」だったわけだが、二十歳をとっくに過ぎた今、私は「ただの人」になったのか?

ただの人というのは、どこにでもいる平凡な人を指す。おそらく世の中で平凡な人は多数派で、そこら中にいるんじゃないかと思う。

そう考えると、私は、ただの人にすらなれていないんじゃないか。

だって、私には友達もいないし、異性と交際した経験もない。勉強は少しできるかも知れないけど、大学で何か研究をしたわけでもないし、論文も1枚も書いていない。

そして、就職活動を半年間続けても内定はゼロ。

こんな人間は、どう考えてもただの人以下だと思う。

つまり、私の場合は、

「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人にもなれぬ」という感じか。