現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

野次馬を超えた何か

今日、とある鉄道路線が運休になった。踏切支障の影響だそうだが、私がその踏切周辺を通ると、スマホで踏切の様子を撮影している人が複数いた。

「野次馬」をするのならまだ分かる。何が起きているのか気になる。人混みができていて、なんだか非日常感がある、自分も見てみたい。

はたから見ると野次馬は馬鹿らしく見えるけれども、ある意味人間の本能的な感情に訴えかける要素があるから、しょうがないと思う。

だが、「撮影する」という行為に関しては、よく分からない。

一体何が目的なんだろう。考えられるのは…

①(アクセス数、いいね稼ぎのために)SNSや動画サイトに投稿するため

②(純粋に情報を伝えるために)SNSや動画サイトに投稿するため

SNS、LINEなどで友達・知り合いに情報を伝えるため

④今起こっていることを撮影し、後から個人的に鑑賞するため

⑤周りの人が撮影しているから、便乗して撮影した

これぐらいだろうか。

まあ、この中で真っ当な理由と言えるのは、②と③くらいだろう。

①は、自己顕示欲や金銭欲が丸出しだし、④は気味が悪いし、⑤は主体性がなさすぎる。

さて、あの時野次馬としてスマホで撮影していた人たちは、①~⑤のどれに当てはまるんだろうか。

私の予想では、案外⑤が一番多いんじゃないかと思う。

①ではない理由は、SNSや動画サイトでの再生数やいいね数が生きがいになっている人が社会全体では少数派だから。

②ではない理由は、「情報を伝える」という純粋な目的でネット活動をしている人自体が少ないから。

③ではない理由は、そもそも文章だけでも十分に情報を伝えられるから。

④ではない理由は、そんな特殊な趣味の人が少数派だから。

①~④は、特定の属性の人や、撮影する行為にこだわる人くらいしか当てはまらない。

しかし、⑤は、基本的にどんな人でも当てはまってしまうのだ。

人というのは、「他人」の行為に知らず知らずのうちに影響を受けてしまうものだ。

昨年あったトイレットペーパーの買い占めも似たようなもの。「みんな買っているから」という理由で、たくさんの人がトイレットペーパーを求めるようになった。

今回も同じである。「みんな撮影してるし、とりあえず撮っておくか」くらいの気持ちでスマホを取り出し、撮影している。

この「野次馬を超えた何か」というのははたから見れば異様だが、このようにしっかり考えてみると、何だか大目に見ようと思ってしまうのは、何故だろう。