現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

マウントと言われても

京都市圏に雪が降ったことに影響して、SNS上では「雪国マウント」という言葉が一時期流行ったという。

というのも、少しの雪に影響される東京の都市機能や、東京都民を雪国に住む人が揶揄することが、「雪国マウント」と呼ばれるのだそう。

まあいつもの如く、「東京(首都圏) VS 雪国(北海道、東北北陸など)」という構図で、「数は力」だから東京が圧倒的勝利を収めることになるのは間違いない。

というわけで、「数が力」がもろに出るSNSでは、「マウントする雪国の奴らは情けない!東京は雪に強いようにできていないんだよ?」と「雪国の人間はここぞとばかりにマウントしようとするどうしようもない連中」という印象操作が行われている。

しかし、私はこのような風潮に異を唱えたい。確かに雪国出身者は雪に弱い都市機能や人々を揶揄したくなることがある。そしてそれは、しばしばマウントにつながる。

だが、東京出身者たちも、日々欠かさずマウント行為をしているのではないか。キリストではないが、「今までマウントを一度もしたことがなかった人だけが、雪国マウントに文句を言いなさい」と言いたいものだ。

雪国出身者だけでなく、地方出身者は、東京出身者が体中から滲みだす「東京マウント」に耐えながら生きている。文句を言うこともほとんどないし、言ったとしても少数派だから揉み消される。

それなのに、地方出身者が少しでもマウントをすると、水を得た魚のように「マウントだ!糾弾するぞ!」と騒ぎ立てる神経は理解できない。

「雪国マウント」を連呼する東京出身者には、「人の振り見て我が振り直せ」という言葉を贈りたい。