現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

「準引きこもり」と大学ぼっちの関連性

10年以上前、ネット上で「準引きこもり」というワードが少し話題になったらしい。

 引きこもり問題については特に2000年代以降テレビ等のマスメディアで報道されることも増え、一種の社会問題と化しているが、「準引きこもり」は引きこもりとイコールではない。

ここでは、atwikiに掲載されている「大学生における準ひきこもり行動に関する考察」を基に話を進めたいと思う。

リンク↓

w.atwiki.jp

この文章は2007年に書かれたものであり、かなりの時期が経っているが、ツイッターで適当にツイートを見ていた所、たまたま発見した。

内容を見てみると、「準引きこもり」の特徴が私を含む多くの大学ぼっちに当てはまるのではないかと考えた。

「準引きこもり」の特徴

上記のサイトによると、準引きこもりは引きこもりとは似て非なるものであり、引きこもりにはない特徴をいくつか持っているという。

簡単に言えば、(大学生の場合であれば)大学に通い、単位を得ることは特に問題なく行うことができるが、家族など自分にとって非常に距離の近い人以外とはほとんど関わることがなく、事実上社会から隔絶された状態である人を、「準引きこもり」と呼ぶらしい。

「引きこもり」というワードは大変有名で、フィクション作品にもたびたび登場する。

暗い部屋でひたすらPCに向かい、無表情でカタカタとキーボードを打つという「引きこもり」のステレオタイプ像がドラマやアニメ等で描かれることも多く、ほとんどの人は「引きこもり」と聞けばそれがどんな人なのかを瞬時にイメージすることができると思う。

その一方で、「準引きこもり」という存在は一見社会に適応し、正常に学生生活を送っているかのように見えるが、実際は引きこもりと同じく社会と繋がりを持っていないというパターンが多く、外見だけでは「引きこもり」と似た要素を持っていると気づかれにくいという特徴がある。

つまり「準引きこもり」は、いわば「物理的には隠れていない、隠れ引きこもり」とも言える。

大学は「社会」か?

「引きこもり学生」と言えば、講義にも出ずキャンパスにも行かず、ひたすら自宅だけで生活が完結している人のことを指すだろう。

そのような学生であれば(たとえ学生が一人暮らしであろうと)その家族は異常に気付き、社会復帰を促すための何らかの施策を講じようとするはずだ。

だが一方で準引きこもりの場合、大学へ通い単位も支障なく取得しているのだから、周りの人も学生の異変に気付くことはできない。

ましてや放任的な大学側ともなれば、学生側が何らかの形で相談でもしてこない限り学生に対して行動を起こす可能性などほぼゼロに近いだろう。

大学は学校であり、学校は「社会」の一部とされる。

確かに学校では多くの人と会話をしたり、遊んだりとコミュニケーションを取るチャンスに溢れている。

だが大学には企業や小中高校などにはない変わった特徴がある。

それは、「コミュニケーションを取りたくなければ極限までそれを避けることができる」という特徴だ。

企業で働いたり、小中高校で学ぶ場合、コミュニケーションを取ることは頻繫にあるだろうし、それを避けることは難しい。

その反面、大学では語学やゼミ、研究室、サークルなどグループを形成して何かを行う機会は確かに存在しているが、それを最大限避けることもまた可能なのである。

例えばサークルはもちろん義務制ではないのだから、入らないことももちろん可能だ。

語学やゼミ、研究室は必修であることも多く、避けることは難しいかもしれないが、逆に言えば、「語学ゼミ研究室以外では一切他者とコミュニケーションを取らない」という選択を取ることもできるわけだ。

つまり大学生はコミュニケーションをいくらでもすることができるし、逆に極限まで避けることもできてしまう、そのような意味では、「大学に通っている=社会に適合している」と見なすことは難しい。

「準引きこもり」が持つ特徴を自身の特徴と比較してみる

 上記サイトの情報を見てみると、筆者自身は奇妙な程に「準引きこもり」の持つ特徴に当てはまっていたことが分かった。

 おそらく私以外の多くの大学ぼっち学生も当てはまる要素を多く持っているのではないかと思う。

大学では友達がいないが他の社会組織では頻繫に関わる相手がいるなどのある意味特殊な大学ぼっちを除いて、ほとんどの大学ぼっち学生はコミュニケーションを忌避し、その結果ぼっちになっていることが多いだろう。

サイトを読んで・・

上記サイトはコミュニケーション能力の欠ける学生を否定的な視点から見ていると思われる所もあるが、「準引きこもり」の特徴を持つ学生が存在し、その多くが社会への適合に苦労していることは確かだろう。

この文章(論文)が書かれたのは10年以上前のことだが、今ではインターネットの発達により10年前よりも更に孤立する学生が増えていると思う。

論文では問題提起をしただけで終わっているが、「準引きこもり」的特徴を持つ学生を支援する仕組みも必要になってくるのではないだろうか。

最後になるが、少し考えてみると、筆者は大学をさぼることもよくあったし、単位を取れなかったことも、再履修を受ける羽目になったこともある。

もしかしたら、私は「準引きこもり」にすら該当しないのではないか?

そう考えると、末恐ろしい気分になってしまう。