現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

生産する存在から、消費される存在に変わった人々

私の地元の田舎には、たくさんの「元都民」や、「元埼玉県民」などがいる。

高校卒業後に進学や就職で首都圏に出たものの、都会での生活が上手くいかなかったのか、それとも田舎に帰らなければならない事情があったのか分からないが、20代~30代くらいで地元に帰っている。

40代まで都会に住み続けることができた人たちは、だいたいが一生涯を都会で暮らすことになると思うし、そのような人たちの間に生まれた子どもは、めでたく「東京出身」や「埼玉出身」になる。

そんな、田舎出身者の「勝ち組」「負け組」のようなものについて考えていたら、1つ面白いことを思いついた。

それは、地方出身の若者が、生産を担う存在から、徐々に消費される存在に変わってきているのではないかということだ。

高度経済成長期の東京は人手不足が深刻だったから、田舎からたくさんの若者を呼び込んだ。就職列車もたくさん走っていた。

当時の地方出身者は待遇こそ都会出身のホワイトカラーと比べると劣悪だったかもしれないが、確かに首都東京の発展に大きく貢献していた。

それが現在は、経済が飽和していて、開発も小規模なものになっている。少子高齢化で人手不足が進んでいるのは事実だが、それが深刻なのは都会よりむしろ田舎の方だ。

都会は完全に余剰人員を抱えている状況になっていて、それ故に都会で就職ができなかったり、就職ができても待遇が悪い企業にしか入れなかったりという事態が起きる。

そして、そんな状況に疲れた若者は、地元へと帰っていくのだ。

さて、地方出身の若者が都会にいる間にしたことは何だろう。彼らがしたことは生産をするということより、むしろ都会の大企業や都会の人々に「消費」されることの方が多かったのではないか。

つまり、地方出身の若者は脂が一番乗っている時期を都会で過ごすが、彼らは都会に巣食う資本や人々に搾取されるだけで終わり、自分自身や地元にはなんの利益ももたらされていないということなんだと思う。

そう考えると、田舎から都会(特に東京)へ出ていくことは、マイナスになることはあっても、プラスになることはそれほどないんじゃないか。

まあ、特に確固たる根拠はないのだが、田舎で幸せそうにしてる人って、「田舎出身で一回も都会へ出たことがない人」が多かったりするから、因果関係はあるのかなと思ってしまったんだ。