現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

行ったことがある県について振り返る①

メモがてら、私が今まで行ったことがある県を1つ1つ振り返ってみたいと思う。

第1回は、北海道。北海道には、これまで3度行ったことがある。

1回目は、宅浪をしていた時、大学受験のために札幌へ訪れた。受験が目的だったので、観光などは一切しなかった、というか不器用な私にはできなかった。

2回目は、大学2年の夏。約1週間かけて北海道の色々な都市を回った。1週間という長旅だったので体力的にきつい面もあったし、旅費も8万~9万ほどかかった記憶があるが、とても充実していた。

3回目は、これまた大学2年の時。東北地方を岩手から青森、秋田、山形と周遊する旅をしていた時に、函館に寄った。

青森から函館までの移動は北海道新幹線を利用した。函館では、地元で有名な「ラッキーピエロ」に行ったことを覚えている。

最後に北海道を訪れてから3年以上が経つ。そろそろ北海道のどこかに行きたいと思っているが、冬では気候が心配だ。

春になるまで待ちたい…ところだが、北海道は春が訪れるのが遅い。

来年の4月を過ぎてしまうと、私は(今後内定を獲得することがない限り)無職になってしまう。無職の状態で北海道旅行をするというのはあまりにも非現実的だ。

ということは、まだしばらく北海道へはいけないのだろうか。つい最近九州へ弾丸旅行したように、衝動的に北海道へ出かけてしまおうか…でも、寒さに耐えられるか心配だ。

行ったことがない県、残り9県に

数日の間、ブログを更新していなかった。

ブログを書かなかったのは、またもや旅行に出掛けていたからだ。

行きは飛行機、帰りは鉄道で、福岡県と中国地方の県を回ってきた。5泊6日の長旅だった。

今回の旅で、広島県山口県・福岡県の3県に初めて訪れた。

これで、私が今まで一度も訪れたことがない県は、残り9県となった。

9県の内訳は…和歌山・島根・佐賀・長崎・大分・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄県だ。

9県全てが西日本で、その大部分は九州・沖縄地方の県だ。鉄道では行きづらく、飛行機を使うのが適している県ばかりだ。

今回の旅では羽田空港から福岡空港まで飛行機で向かった。搭乗券の購入はとてもスムーズだったが、如何せん空港に行くまでが面倒だった。

新幹線のターミナル駅と比べて、空港はアクセスに時間がかかるのが難点と言えよう。

さて、私は大学を卒業するまでに上記の9県に行くことはできるのだろうか。

COVID-19の状況にもよるが、できれば今年中に9県のうちどれか1県くらいは行きたいと思っている。

現実から離れる手段としての旅行

私が旅行を好むのは、手軽に現実逃避ができるからだということは以前述べたが、ではなぜ旅行をすると、簡単に現実から離れることができるのだろうか。

旅行をすると、当然ながら普段行かない場所に行くことになる。普段からよく利用する商業施設や駅、大学などは「現実」の要素の中に含まれるが、見知らぬ地域にはそれがないため、現実から離れたような気分になるのだ。

それに加えて、日帰りの旅行でなければ、ホテルなどに宿泊することになる。つまり毎日を過ごしている家には帰らないということになる。

家というのもまた、現実と強い関わりがある。家とは違う場所で寝泊まりするだけでも、何となく現実から離れたような感じがするものだ。

私が旅行=現実逃避に最適だと感じるのは、以上のように、旅行によって「普段利用する施設や、自分が住んでいる地域」と、「毎日を過ごしている住み家」から一時的に距離を置くことができるからだと思っている。

つまり、どこに行くかはあまり関係がない。例え県内であっても、普段行かないような地域であれば、充分現実逃避を果たすことができるのだと思う。

さて、12月からは神奈川県民向けの宿泊割引が始まる。

現実逃避としての旅をお得に楽しむために、県民割引を使おうか…と思っている。

ただ、北海道や九州など、卒業後は(たとえ無職になったとしても)なかなか行けない地域に行きたいとも思っていて、今はその葛藤に悩んでいる。

そして私には、「強迫観念」が頻繫に生じてしまうという悪い癖もあるから、余計に旅行が面倒というか、ある意味で苦痛だと思ってしまうこともあるのだ。

結局私は、現実逃避がしたいだけで、本当の意味では旅行がしたいわけではないんだろう。

だが、旅行以外の手段で現実逃避をするには、どうすれば良いんだろう?

カラオケは一時的な現実逃避にはなるけど、数時間程度で終わってしまう。それではあまりにも短すぎる。

現実逃避できる合理的な方法というものを、もっと考えていく必要がありそうだ。

耐久力の高さに感心

数日前のブログで、ペットボトルの水がリュックの中でこぼれてしまったことにより、モバイルバッテリーが壊れたことを書いたが、実際は壊れていなかった。

水に濡れた当日は反応がなく、スマホに繋げてみても充電ができなかったため「壊れた」と早とちりしたのだが、今日繋げてみたら問題なく充電できた。

思ったより丈夫だったようだ。

以前のブログでは、「3000円貰って3000円損した!、タダより高いものはない」などとつらつら書いていたが、結果的には損をすることがなかったのは良かったと思う。

それにしても、あのペットボトルからなぜ水がこぼれたのか不思議だ。あれは出かける前日に買ったもので、全く手を付けていなかったのに。

もしかしたら、私の非力が原因でキャップが上手く締まっていなかったのかもしれない。それだったらまさに無様としか言いようがないが、真相は闇の中である。

これからは、ペットボトルがよく閉まっているか、逐一確認することが必要だと思った。

京阪式・東京式の境界

方言における、「東京式アクセント」と、「京阪式アクセント」の境界はどこなのか。

日本海側では、おそらく富山・新潟県境あたりだろう。

新潟までは標準語に近いが、富山に入った途端関西弁チックになる。それでも本場関西の人は、関西弁と富山の方言はかなりの違いがあると思われるのだろう。

太平洋側では、愛知県の尾張岐阜県あたりではないだろうか。愛知県でも三河地方では若干東日本方言に近いような気がするが、名古屋を超えて、岐阜県との県境に近づいてくると、西日本風になってくる。

少し分からないのは、三重県における東京式と京阪式の境界だ。

先日「三重県に行く」という目的を達成するためだけに、近鉄で桑名まで行った。

桑名で駅前を少し歩いたが、駅前で誰かと電話で話していた人は、京阪式アクセントで話していた。地元の人のようだったので、桑名も京阪式アクセントの方言がある地域なのだろうか。

桑名は愛知県に近いので、てっきり東京式アクセントなのかと思っていたが、私の勘違いだったのかもしれない。

タダより高いものはない

今日、若干ショッキングな出来事があった。

数日ほど前私は、大学生協から購買で使える引換券(3000円分)を貰っていた。

その引換券は使用期限が間近に迫っているので、さっさと使ってしまおうと思い、食べ物やペットボトルの水などを買った。

そして今日、私はいつもの如くカラオケへと出かけた。カラオケでは水が必要になると思い、先日購買で買ったペットボトルの水を持っていった。

カラオケが終わるまでは何事もなかった。問題はここからである。

カラオケが終わった後、所用があったので私はとあるお店へと寄った。すると、何やら自分の身体の辺りから水がこぼれているような、変な感覚がする。

リュックを見てみると、なんと水がしたたり落ちている。まるで雨に濡れたかのようにカバンがびしょ濡れになっていたのだ。

驚いた私はとりあえずトイレへ駆け込んだ。リュックをしっかり確認してみると、なんと持ってきたペットボトルから水がこぼれているではないか。

キャップはきちんと締めたはずなのに、なぜか水がこぼれている。何らかの理由でボトルが歪んでしまったのだろうか。

リュックに大事な書類などはなかったし、財布は別の場所に入れていたのでお金やICカードなどに被害はなかった。

しかし、リュックの中には「モバイルバッテリー」も入っていた。2年ほど前に約3千円で買ったもので、先週旅に出た際に念のためリュックの中に入れていた。

そのモバイルバッテリーは、水をもろにくらっていた。家に帰ってUSBで充電してみたり、スマホの充電をしようと試みてみたが、ダメだった。

3000円ほどしたモバイルバッテリーは、あっけなく壊れてしまったようだ。

さて、今日の出来事を整理する。

私は3000円分の引換券を使って水(や食べ物)を買ったが、その水がリュックの中でこぼれ出した為に、3000円するモバイルバッテリーを壊してしまったのだ。

つまり、頂いた3000円を使って自分が持っていた3000円を失ってしまったということだ。プラマイゼロだと思えるかもしれないが、新しいモバイルバッテリーを買ったり、リュックを乾かしたりする手間を考えると、損したと言わざるを得ないだろう。

まさに、「タダより高いものはない」。これを実感した1日だった。

「皆が目立とうとする社会」の到来

最近考えたこと。

今の日本では、雇われとして働いても稼ぎにくいのが普通になっている。

しかし、インターネットで一発「YouTuber」や「インフルエンサー」などとして成功すれば、多額のお金が舞い込んでくる。

たった数年で数億円、サラリーマンの生涯賃金を稼いでしまうことも不可能ではない。

そしてインターネットを使った「仕事」というのは、大成功はしなくとも、少しだけ成功することは才能がない人でも十分可能である。

ある程度成功してしまえば、月に数万円~数十万円くらいは手に入る。これだけで生活ができるわけではないが、小遣いとしては馬鹿に出来ない額である。

つまり、今の若者にとってインターネットというのは、「一発逆転も夢ではない便利な副業」を生み出す手段として活用されているのである。

さて、インターネットで成功するにはどうすれば良いか。方法は色々あると思うが、一番手っ取り早いのは、「目立つようなことをする」ことだと思う。

どんな行為でも良いから、目立つことをする。もちろん法に反する行為はご法度だが。

だからこそ、現代の若者というのは、事あるごとに目立とうとしているのではないかと思う。

普通に働くだけでは、お金が足りない。中流で居続ける、もしくは中流から上流へと移動するために、ネット上で目立とうとする人が増えてるんじゃないか。

ふと、そう思った。