現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

就活で分かった、鉄道と航空の差

私は未だ内定が1つもないわけだが、過去にとある有名鉄道会社と有名航空会社を受けていた。

鉄道会社では書類落ち、航空会社では面接まで行ったが、一次面接で敗退した。

鉄道と航空という2つの業種の企業を受けて分かったのは、「航空業界のホスピタリティの高さ」である。

面接を担当していただいた社員の方はとても丁寧に接していただいたし、会社全体が「お客様」を大切にしようとしている雰囲気がはっきりと伝わってきた。

その反面、鉄道は酷かった。誰もがその名前を知っている超有名鉄道会社で、外面は良いのだが…

まず、書類選考に通過したのか、落ちたのかに関する連絡が全くなかった。いわゆる「サイレントお祈り」という奴である。

そこで、「この会社はサイレントお祈りが当たり前なのか?」と思い「会社名 サイレントお祈り」で検索してみた。

すると、あるブログ記事がヒットした。その記事はかなり昔のものだったが、当時からサイレントお祈りを当たり前のようにやっていることが書かれていた。

Twitterで検索してみても、似たようなツイートがいくつか出てきた。やはり、サイレントお祈りの常習犯だったようだ。

私は、少しがっかりした。今まで「日本を代表する鉄道会社で、イメージも良い」と思っていた会社が、公然とサイレント行為をしていたからだ。

ああ、鉄道業界ってこんなもんか、と思った。

もし鉄道業界と航空業界両方から内定を貰うことがあれば、私は航空業界を選びたいと思う。

「認知」は色々な意味で大事

最近、とある私鉄がインターネット上でプチ炎上しているとか聞いたので、調べてみた。

一部の人の反応を見るとよほどやばいことをやらかしたのだろうかと思われたが、実際は大したことはなかった。

というか、この程度でここまで騒げる人たちって、「認知が歪んでいる」としか言いようがない。

「鉄道会社は(心の底では)鉄道ファンを嫌っている」とか、「報道各社は鉄道ファンを叩こうとしている」とか、まあ色々と言われているが、正直本気で言っているのであれば、さっさとその趣味をやめるべきだと思う。

鬱々とした精神と、他者への根拠のない偏見をぶら下げている人がすべきなのは、鉄道会社を叩くことではなくて、まずその「歪んだ認知」をなんとかすることだろう。

認知が歪んでいる状態では趣味を最大限楽しむこともできないし、世間や社会との乖離が進むばかりだからだ。鉄道ファンが社会から煙たがられていくように、「自分」という存在そのものが、他人や社会からどんどん嫌われていってしまうのだ。

まあ、私は鉄道ファンではないんだけども、少し思うところがあったので書いてみた。

東京から地方都市へ

私は、田舎の出身で現在は首都圏に住んでいる。東京都内ではないが、広義の意味では「東京」とされる地域にいる。

そんな私だが、5年近く東京周辺に住んでみて、「もう東京は良いかな」と思ってきている。果たしてそれは何故なのか。

理由は色々とあるが、「東京は、地元民でないと住みにくいと感じた」のが主たる理由だ。

「住みにくい」というのは精神的なものではなく、経済的なものである。つまり、東京は一人暮らしをするにはお金がかかりすぎるのである。

東京が地元であれば、実家に住みながら生活を維持することができる。ある社会学者が「パラサイトシングル」と名付けたように、社会人となってからも実家に住み続けることで、少ない給料でも人並みの生活をしている独身者というのは少なくない。

しかし、東京が地元でなければ、当然一人暮らしをする必要が出てくる。家賃が極端に安い住宅もあるにはあるが、居住環境が極めて劣悪であることが多い。劣悪な環境に身を置いてまで、東京に拘る必要はないと思っている。

田舎出身、そして実家が持ち家ではない私は、残念ながら「パラサイト」による恩恵を受けることは難しい。だからといって、東京は厳しい。

そうなると、目指す先は1つしかない。それは、「地方都市に住む」ということだ。

札幌や仙台・名古屋・福岡などが理想的だろう。幸か不幸か、私の家には家業などないし、地元に残らなければならない制約のようなものも何もない。

なので、地方都市ならば基本的にどこへ行っても同じなのである。問題は、移住先の文化に適応できるかということと、自分に合う仕事が見つかるのかということだろう。

いずれにしても、将来の私は首都圏ではなく、別の地方都市に身を置くことになるのではないかと思う。

内定ゼロ大学ぼっちが2021年を振り返ってみる

2021年ももうすぐ終わる。まだ3週間ほどあるため振り返るには早いような気もするが、何となく振り返りたくなってみたので今日書くことにする。

1月

1月は、とあるサイトに熱中していた。当然ながら就活については何も考えてはいなかった。

1月中旬以降は期末試験もあったが、あまり記憶にないことから考えるとそこまで大変ではなかったのだと思う。

2月

2月は、スーツを買ったり、髪を切ったりと、「就活準備」を進めた1か月だった。

また別の記事で書きたいと思うが、この時行った某理髪店で私は不愉快な思いをした。それと同時に、「やっぱ俺、働けないよなあ」と思ったことも覚えている。

3月

3月からは、就職活動を始めた。就活が嫌になりすぎて、近所の川沿いをひたすら歩くようになるなど辛いことも多かった。

就活関連のイベントに行ったり、エントリーシートの書き方を勉強したりと個人的に頑張っていた印象だ。

4月

4月も引き続き就職活動を続けた。そして4月下旬には初めて面接を経験した。

書類選考や適性検査で落ちる企業が多く、「俺には就職は無理か」と思うことが増えてきていたが、面接を通過した企業もあったため、「もしかしたらいけるかも」という希望もあった。

5月

5月には、とある企業の最終面接があったが、あえなく不合格となった。それと同時期に、私が入社したいと強く思っていた某外資系企業の1次面接にも落ち、徐々に希望は失われていった。

この頃にはとある大手企業の子会社の面接を受けたが、その面接はとてもひどかった。近々記事にも書きたいと思う。

それでもなお、「6月頃には内定を取って、自由になりたい」という思いがあったので、とりあえず就職活動は続けた。

6月

6月は就職面接解禁のタイミングとされる。私も数社ほど面接があったが、全て落ちた。

ここで私は、「やっぱり就職は無理かな」と思い始めるようになる。

7月

7月は、春学期のレポート執筆に時間を費やした。これを理由に就活は中断していたが、実際はレポートの有無にかかわらず就活をやめたいと考えていたと思う。

新型コロナウイルス感染症ワクチンの1回目接種を受けた。

8月

夏休みに入ったが、内定ゼロ+新型コロナウイルス感染症の爆発的流行という要素があったため、ほとんど自宅とその周辺で過ごした。

新型コロナウイルス感染症ワクチンの2回目接種を受けた。2回目は副反応が酷いと聞いていたので戦々恐々としていたが、蓋を開ければ大したことはなかった。

9月

もう9月、気づけばほとんど就活をしていなかった。この頃何をしていたかはあまり覚えていないが、ブログを頻繫に更新するようになったことから考えると、変化の無い毎日を送っていたのだと思う。

10月

10月も、何をしていたかはあまりよく覚えていない。1つ覚えているのは、「1人カラオケデビュー」を果たしたということだろうか。

この頃から、2週間に1度ほどのペースでカラオケをしている。

11月

11月は、インターネット上での創作活動や、読書に熱中していた。読書を始めたのは、大学生でいられる内に図書館の本をできるだけたくさん読んでおきたいと思ったからである。

11月下旬には、2年ぶりに一人旅をした。一人旅をすることで得られる「自由になった」かのような感覚に、内定ゼロの私は救われたような気持ちになった。

12月

12月はまだ10日しか終わっていないが、この10日間だけでも色々なことがあった。

1つ目は、5泊6日で九州方面に出掛けたこと。2つ目は、初めてカメラを買ったことである。

おかげで、口座残高が凄まじい速さで減っている。この2週間で、実に11万円もお金を使っているのだから、自分でも驚きだ。

今後は消費をセーブしたいところだが、年末ムードも手伝って、また散財をしてしまうに違いない。

 

これで、2021年の振り返りは以上である。また思い出すことがあれば、別の記事に書いていきたいと思う。

行ったことがある県について振り返る②

今回は、青森県について振り返ってみる。

青森には、1度しか行ったことがない。3年ほど前に来訪した。

私は東日本生まれ東日本育ちということもあり、東日本=どこも似たような地域だと考えてしまうところがある。

それゆえ東北地方に出掛けても、関西や四国に行く場合と比べるとあまり「遠くに来た」感じがしないのであるが、青森県は違った。

本州最北端に位置していて、北海道への玄関口という性質を持っている素晴らしい県だと感じた。

今まで「東北地方はどこも一緒」と考えていた私がいかに間違っていたのかを強く痛感したものだ。

青森県で私が特に印象に残ったのは、JR青森駅とその周辺の景色だ。何となく懐かしさを感じさせる雰囲気だった。

青森で食べた「イギリストースト」も美味しかった覚えがある。また青森に行って食べてみたいものだ。

 

「何もない」の意味

「何もない」という言葉は、色々な文脈で用いられる。

よくあるのは、特定の地域(とりわけ、「田舎」とされる地域)を評する時に、「何もない」と表現されるパターンだ。

このような場合は、たいてい「都会よりも劣っている地域」という意味合いを持っていることが多い。

確かに世間で「秘境」とされるような地域や、人が住んでいる気配がほとんどないような場所について、「何もない」と表現するのは何ら不思議なことではないと思う。

しかし、中には人が普通に住んでいて、商業施設があるような場所すら「何もない」と言う人たちがいる。

不思議だ。私は、彼らの真意というものをしばらく考えてみた。

辿り着いた結論は、彼らが「何もない」と評する地域には、「大都会」とされる地域には間違いなく存在しているであろう商業施設や、娯楽施設が存在しない、ということである。

つまり、むやみやたらに「何もない」という言葉を使う人達というのは、たとえお店や人家があったとしても、そこに「映画館」や「ゲームセンター」、「デパート」、「有名飲食チェーン」など、都会には確実にあるであろう施設がなければ、容赦なく「何もない」と判断してしまうのだと思う。

これは、非常に感性が貧しいと言わざるを得ないというか、都会に溢れる商業主義に完全に毒されていると思っている。

「何もない」が当たり前の地域で育った私からすれば、東京都心のような場所は「何かが在り過ぎる」と思えてならない。

もはや人間が人間らしく生きられる領域からは大きく外れ、キャパシティーを超えている。この異常な状態に気づかぬまま、見知らぬ地域を「何もない」と貶すことの愚かさというのを、都会で生を受けた人々には早く知って欲しいものである。

 

「冬=乾燥」は多数派の理屈

テレビCMなどで、「乾燥する冬~」というフレーズが出てくることがある。

冬というのは確かに乾燥する季節だと言われているが、実はこれは日本全国全ての地域で当てはまるわけではない。

具体的に言うと、北海道の大部分の地域や本州の日本海側の人にとっては、冬は湿っぽい季節なのだ。

なぜかというと、これらの地域は冬季に雨や雪がよく降るからだ。だから、冬は乾燥するどころか、湿度に気を付けないといけないという具合なのである。

しかし、「冬=乾燥する」というのはもはや常識のように語られている。これは何故か。

答えは簡単。日本では、太平洋側が「多数派」で日本海側は「少数派」だからだ。

試しに、北海道と本州日本海側(青森から島根)の人口を大雑把に計算してみると、だいたい1500万人くらいになる。

これは、東京都の人口に毛が生えた程度の値だ。つまり、首都圏の1都3県(東京・埼玉・千葉・神奈川)が束になってしまえば、北海道本州日本海側地域は、たちまち「少数派」になってしまうということだ。

それに太平洋側には、東京以外にも大都市がたくさんある。仙台・名古屋・大阪・広島…これらの地域の人口を加えれば、日本海側との差はさらに広がるだろう。

「数の論理」として考えるまでもなく、「東京+名古屋+大阪」の3大都市圏を有する太平洋側と、これといった大都市が札幌くらいしかない北海道本州日本海側を比較すれば、圧倒的な差で太平洋側に軍配が上がるのは間違いない。

だからこそ、冬には湿度が高い地域が少なからず存在するにもかかわらず、世間では冬は乾燥する季節だと捉えられているのだと思う。

日本海側が、「裏日本」と侮蔑的な呼び方で呼ばれなくなって久しいが、今でも表と裏の格差ははっきりした形で存在しているのだ。