現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

「大学ぼっち」がスタンダードとなる世界はやってこない

新型コロナウイルス流行とそれに伴うオンライン授業の拡大によって、孤独感を抱えている大学生が増えているというのは周知の事実だと思う。

コロナ禍以前は大学ぼっちという存在自体が異質であり、ネット上ではしばしば嘲笑され、哀れみの目を向けられていたが、最近ではこのような未曾有の事態によって大学ぼっちの絶対数が増えつつある。

ということもあり、コロナ禍によって人々の価値観や学生を利用する商業主義が打ち破られ、「大学ぼっち」という存在がある意味スタンダードな存在になってきているのではないか?と思ったこともあった。

でも、コロナ禍が始まって1年以上が経って分かったのは、ほとんどの大学生は、大学ぼっちになんて絶対になりたくないと思ってるし、なり得ないということ。

そもそも孤独が心地よいとか、誰かと一緒にいることが苦痛だと感じる人が少数派だし、インターネットが浸透した現代なら、オンライン上で楽々誰かとつながれてしまう。

そしてメディアでは頻繫に、「孤独な大学生」が特集されている。マスメディアがどのような基準でニュースを作っているのかは分からないが、おそらく、大学生が孤独に陥ることは問題だという前提で取材を進めているのだと思う。

メディアの報道が世間に与える影響は凄いから、世論は「大学で友達がいないなんて、かわいそう」となるわけだ。

結局何が言いたいかというと、多数派は大学ぼっちになることそのものを「悲劇」だと捉えているから、大学ぼっちがスタンダードになることなんてないよね、ということ。

このコロナ禍で、私のような存在がまるで落伍者のような扱いを受けているってことが、よく分かった。

でもこちらからすれば、学内の人脈やコミュニティに固執して、関わりたくない人と無理に関わっている人たちも、十分危ういと思うけどね。

※昨日の記事と大分似た内容になってしまった。そろそろ毎日更新も潮時かな。