現代社会を生き抜く術を考える

考察と日記を織り交ぜたブログです。

「主観」「客観」どちらを追い求めるべきなのか

最近、というか今年はほぼ一年中「幸福」という概念について考えている。

人が生きる目的ははっきりとはしていないが、ではなぜ人は生きるのか。それは「幸福」を得るためだと思っている。

もちろん、本能的に「生」を求めている部分もあるだろうが、人が能動的に何かに取り組んだり、他者と交流したりしようとするのは、本能以外にも人間に行動を起こさせる起爆剤のようなものがあるからだと思う。

その起爆剤こそが、「幸福になりたい」とか「幸福を得たい」という無限大の欲求なのだ。

さて、「幸福」と一言に言っても、人によって幸福の概念は様々なのは言うまでもない。

そこで私は(既に言っている人がいるかもしれないが)、「主観的」幸福と、「客観的」幸福という2つの要素を提示してみたい。

主観的幸福というのは、自分自身の感情によって「幸せ」と「不幸せ」を判断することができるということを示している。

その一方で、客観的幸福は、世間一般の「これは幸福と言えるだろう」というある種の共通認識のようなものに根差している。

例えば、恋人がいるとか、結婚しているとか、お金をたくさん稼いでいるとか。おそらく世界中のほとんどの人は、こういった特徴を持つ人たちは幸福な状態にあると判断すると思う。

さて、ここで私が考えるのは、人間は主観的幸福と客観的幸福のどちらを追い求めるべきなのかということである。

これは思ったより難しい問題だ。主観的幸福を優先すれば、「足るを知る」が如く自分の身の丈に合った幸せを噛み締めて生きることが可能になるが、世間一般で言う幸福とは程遠い状態にあるので、その現実に悩まされることになる。

かといって客観的幸福を優先しようとしても、人によっては結婚できなかったり、仕事が上手くいかなかったりと、客観的幸福が求める条件をいつまでたっても達成できないという場合もある。

この場合は自己肯定感が低下し、「俺って、不幸だなあ」と自分を必要以上に追い込んでしまいがちになる。

では、主観的幸福と客観的幸福を両立させようとするのはどうだろうか。ある部分では主観で幸福を感じ、また別の部分では客観性に頼ろうとすることだ。

例えば、学歴はあるけれど、大してお金を稼げていない人がいたとする。この場合は、学歴の部分で客観性を、お金の部分では主観性を取り入れるのが良いと思う。

つまり、「俺って誰もが認める一流大学を出てる!凄い!」は客観的幸福であり、「俺って他の人より収入は少ないけど、職場環境が合ってるし毎日やりがいもって働けてる!」は主観的幸福だということだ。

年の瀬になって色々と余計なことを考えてしまっている。今回の記事は、その産物である。